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対談記事

INTERVIEW

「新建築」10月号掲載記事

日本ERI 創立20周年記念特別対談 2

社会にひらく建築

これまでの20年、これからの20年

写真撮影:新建築社写真部

人と人の繋がり方を模索する

千葉学(以下、千葉)  2006年では「森山邸(設計:西沢立衛建築設計事務所)」がとても印象に残っています。
その頃、学生の課題作品がすべて「森山邸」のように、箱をぱらぱらと置いたものになっていました。
これはおそらく、戦後の核家族化が進み、地縁的なコミュニティが希薄になり、さらに携帯電話の普及に象徴される個人主義が浸透して、人と人の繋がり方が希薄になっていった時代を経た今、若い人たちが動物的な嗅覚をもって嗅ぎ取っていた危機感が表れたのだと思うのです。
人と人はどうやって再び繋がっていけるのかということを模索していたのだと思います。
いきなりベタベタはできないから、まずはほどよい距離で顔を合わせることから始める、それを本能的に空間化していったのでしょう。

写真撮影:新建築社写真部

森山邸

森山邸

東日本大震災と設計に携わる者にできること

馬野俊彦(以下、馬野)  2011年の東日本大震災は、もう衝撃以外のなにものでもなかったです。
自然の猛威の前では結局何もできないと、ほとんどの人が感じたと思います。
唯一われわれができたことは、地震保険等の保険金の支払いための建物調査をできるだけ迅速に行うということで、当時、福島県の郡山に社員を集めて手伝いを行いました。
建築設計に携わられる方がたのサポートをどういうかたちでできるのかと考えることが精一杯でした。

千葉  両親の故郷である東北は自分のルーツがある場所ですし、また、阪神・淡路大震災の時に何もできなかったという悔いもあり、震災後比較的すぐにArchi+Aidというボランタリーな組織に加わりました。
そこでは、建築家が被災地に対して何か提案する際、なるべくネットワークを活用しながら行うことを基本方針としていました。
過剰に自治体に負担をかけないようにという思いもありましたが、数多くの情報を建築家サイドで共有し、その中で自分ができる最善のことは何なのかを見極めていくということを継続しました。

馬野  先日、千葉さんが携わられた「釜石市天神復興住宅・釜石市大町復興住宅(2016年)」にお邪魔しました。
土曜日だったこともあり、人がたくさんいて、賑わっている様子が印象的でした。
復興住宅というと、震災で家を失った人へ生活の場を提供することが目的ですが、そこで暮らしていくには、生活できる場所だけでなく、その地域での繋がりやコミュニティをどのように再建するかということも重要であり、それを実現する役割を担うのが建築なのだなと改めて感じました。

千葉  今回の東日本大震災では、建築家が設計に関わるとコストやスケジュールが合わず、結局建物が建たないという事態に陥ることが多く、建築家の社会的な信用が揺らいでいたということもありました。
そこで「釜石市天神復興住宅・釜石市大町復興住宅」では、大和ハウス工業と組んで応募しました。
構造形式が決まっていたり、安価な材料や既製品を使用しなくてはならない等、これまでの設計では経験のなかったさまざまな制約がある中で、美しいディテールや材料といった表層に頼らなくても、地域における人と人の繋がりや人と土地の繋がりにコミットできると信じて仕事をしていました。

ストックの利活用と法整備

馬野  2012年では「東京駅丸の内駅舎」の復原が印象的でした。

写真撮影:新建築社写真部

東京駅丸の内駅舎保存・復原

東京駅丸の内駅舎保存・復原

千葉  われわれの記憶を司るものとして、建築や街はとても重要です。
「東京駅丸の内駅舎」の復原も、東京にとってはなくてはならないものです。
ただ、保存か再開発か、という二項対立で考える事象ではないとも思います。
むしろ「手入れ」のようなものだと捉えていくべきなのではないでしょうか。
例えば、日本には名勝と言われる庭園がいくつもありますが、オリジナルなものはひとつもありません。
つまり、木は育ち、刈り込まれたりしながら姿を変えていて、200年前とまったく同じ状態なんてあり得ないのです。
変化に呼応しながら常に手入れされ、維持されて価値を保ち続けているもので、建築や街もそのように捉えた方がよいのではないかと思います。

馬野  既存建物の改修については、法規の中でもどのように捉えていくか本当に難しいと感じています。
既存建築ストックの有効活用や不動産取引の円滑化のため、検査済証のない建築物について、指定確認検査機関等を活用し、法適合状況について調査する方法についてのガイドラインが策定されました。
しかし、それだけでは十分とは言えず、調査や判断の技術的な問題もさることながら、責任は誰がとるのかという問題が解決されません。
誰しも迂闊にリスクを抱えることはできませんので、放っておいてしまうと、ストックはどんどんスクラップアンドビルドされてしまうというのが実情です。

千葉学  僕が関わった「大多喜町役場(2012年)」でも、1957年に竣工した今井兼次氏による既存建物は検査済証が見つかりませんでした。
そうすると、既存棟と繋げて増築しようとすると既存部分にも現行法規が遡求適用されてしまって改修そのものができなくなってしまう恐れもあり、新築棟は既存棟と切り離して計画しました。
このように、使い手側の運用の仕方や、建築へのリテラシーによって成り立つ部分もあり、すべてを法規によって整備できるかどうかは難しいところだと思います。

写真撮影:新建築社写真部

大多喜町役場

大多喜町役場

これからの建築

馬野  20年を振り返りましたが、未来についても少しお話しできればと思います。
人口減少と技術者不足というのがわれわれのこれからの課題だと思っています。
今後人口減少に伴い、当然建築の需要も減少していきますよね。
しかし、そのスピードよりも、技術者の減少のスピードの方が早いと感じています。
どのように人を育てていくかということがいちばんの課題としてあると考えています。
また、昨今BIMを活用した設計が進んでいますが、設計~施工~維持管理と、シームレスに共有する本来のBIM活用の目的で使われているのは、一部のスーパーゼネコンに限られているという現状があります。
設計に携わられる方がBIMを効果的に使用できるよう、確認検査機関という立場からどういったサポートができるか、これから取り組んでいきたいと考えています。

千葉  先日、2016年の熊本地震の復興のために設計していた「みんなの家」の1棟目が竣工したのですが、地域にとってのひとつの建築をつくることが、どれだけ重みがあることなのかということをさまざまな場面で実感することができました。
「みんなの家」は、小さな公民館としてつくったのですが、上棟式や竣工式では盛大なお祭りのように地域を上げて準備をしてくださり、皆さん心の底から喜んでくれました。
地域に建築をつくることの価値や維持していくことに対してみんなが自覚的で、建築をつくることの原点を見せてもらった気がします。
とても勇気付けられましたし、僕はそこに建築に対する未来を感じました。
そういったことがもっと若い人たちに伝わるとよいなと思います。

(2019年7月9日、日本ERI本社にて 文責:「新建築」編集部)

これまでの20年の建築に関する主な出来事

1995年 阪神・淡路大震災
1997年 京都議定書採択(発効は2005年)
1998年 建築基準法改正・施行(民間確認検査機関、中間検査等)
1999年 日本ERI設立
2000年 日本ERIが民間初の指定確認検査機関に
せんだいメディアテーク(伊東豊雄)
馬頭町広重美術館(隈研吾)
2001年 9.11同時多発テロ発生
札幌ドーム(原広司)
メゾン エルメス(レンゾ・ピアノ 他)
2002年 横浜港大さん橋国際客船ターミナル(foa)
電通本社ビル(ジャン・ヌーヴェル 他)
2003年 プラダ ブティック青山店(ヘルツォーグ&ド・ムーロン 他)
六本木ヒルズ(森ビル 他)
2004年 新潟県中越地震
金沢21世紀美術館(SANAA)
地中美術館(安藤忠雄)
2005年 構造計算書偽装問題
日本国際博覧会(愛・地球博)開催
青森県立美術館(青木淳)
2007年 建築基準法改正・施行(確認審査の厳格化等)
ふじようちえん(手塚貴晴)
新丸の内ビルディング(三菱地所設計)
東京ミッドタウン(SOM、日建設計 他)
2008年 リーマンショック
神奈川工科大学KAIT工房(石上純也)
犬島アートプロジェクト「精錬所」(三分一博志)
2010年 豊島美術館(西沢立衛)
2011年 東日本大震災発生
ソニーシティ大崎(日建設計)
2012年 東京スカイツリー(日建設計)
東京駅丸の内駅舎保存・復原(東日本旅客鉄道設計 他)
大多喜町役場(千葉学)
2013年 東京五輪開催決定
2014年 検査済証のない建築物に係るガイドライン策定
大分県立美術館(坂茂)
あべのハルカス(竹中工務店)
2016年 熊本地震発生
すみだ北斎美術館(妹島和世)
太田市美術館・図書館(平田晃久)
2017年 省エネ基準の義務化
GINZA SIX(谷口吉生 他)
渋谷ストリーム(小嶋一浩+赤松佳珠子/ CAt 他)
2018年 東京ミッドタウン日比谷(ホプキンス・アーキテクツ 他)
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