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対談記事

INTERVIEW

「新建築」9月号掲載記事

日本ERI 創立20周年記念特別対談 1

社会にひらく建築

これまでの20年、これからの20年

写真撮影:新建築社写真部

建築確認検査の民間開放

馬野俊彦(以下、馬野)  1995年の阪神・淡路大震災では、非常にたくさんの人命や建物・財産が失われました。
大震災を契機として、建築物に対する安全性についての問題意識が高まり、1999年に建築基準法が改正され、それまで特定行政庁だけが行っていた建築確認を民間開放し、より国民の安全に資するものにしていこうという目的で、指定確認検査機関が制度化されました。
また、併せて2000年には、新築住宅の品質を、構造の安全、劣化の軽減、温熱環境・エネルギー消費量など10分野について第三者が一定の基準で評価し、結果を評価書として交付する住宅性能表示制度も施行されました。
われわれは、大震災で大きなダメージを受けた日本においてこの先必要なことは、まさにこの制度を普及していくことにあり、それがひいては日本の建築の安全や信頼、品質向上へと繋がるのだと考え、2000年4月に民間初の指定確認検査機関としての業務、また同年10月に住宅性能評価業務を開始しました。

千葉学(以下、千葉)  阪神・淡路大震災では、ビルや高速道路が倒壊したり、木造密集地で火災が起きたりと、これほど大きな自然災害を実際に目の当たりにしたのは僕にとって初めてのことでした。
正直なところ、支援らしいことは何もできませんでしたが、改めて振り返ってみると、この震災をきっかけとして、建築に関する技術的な問題だけでなく、地域の安全性やコミュニティ、その後に起こる孤独死の問題等にフォーカスが当てられ、建築界に大きなフィードバックがあったというのが強く印象に残っています。

ひらかれた公共施設

千葉  ERIが創業された2000年には伊東豊雄さんの「せんだいメディアテーク」が竣工しています。
「せんだいメディアテーク」は建築のプログラムとしては文化複合施設ですが、建築の形式としては、ル・コルビュジエの「ドミノシステム」のように床を積層させた建築です。
それまでは、つくり手側の考えからこういう大きさの部屋が必要だ、こんな機能の部屋がいると決められていたことが、むしろそこを使用する人が主役となって、どんなふうにここを使うか、どんな活動を行うかを自らが考えていけるような自由な床だけを設けたという建築のつくり方が、大きな変革だと思いました。
公共施設が、より市民に近づいたという感覚を強く持ちました。

写真撮影:新建築社写真部

せんだいメディアテーク

せんだいメディアテーク

馬野  「せんだいメディアテーク」が市民にひらかれた建築であるということと、建築確認検査が民間に開放されたことは、「ひらく」というキーワードでこの時代を象徴しているように思います。
われわれが社会に受け入れられる素地も、この頃には建築基準法が仕様規定から性能規定に変わる流れがあったことが一因だと考えられます。
国が決めた基準をクリアすれば、後は自分たちで考え、決定し、何か問題が起きれば調整して自分たちで運用していくという方向へ変化していったように感じました。

千葉  その後2004年にはSANAAによる「金沢21世紀美術館」が竣工しますが、これはさらにひらかれた建築と言えますね。
従来の美術館は、施設然としていて、歩く順路も決まっている。
最後はミュージアムショップに行き、カフェでお茶をして帰るという定番の流れがありましたが、「金沢21世紀美術館」はひとつひとつのギャラリーが街にばらまかれていて、それをたまたまガラスでくるんでいるようなものです。
どこからでも、ふらりと散歩をするような感覚で訪れることのできる美術館です。

大規模再開発とその街の記憶

馬野  この時代のもうひとつの象徴は「六本木ヒルズ(2003年、設計:森ビル 入江三宅設計事務所)」だと思います。
再開発の主体が行政から民間に移行し、大きな話題になりました。

写真撮影:新建築社写真部

六本木ヒルズ

六本木ヒルズ

千葉  「六本木ヒルズ」では、東京の巨大な都市模型が展示されていますが、当時その模型を拝見し、模型の精度の高さにも驚きましたが、森ビルがこんなにも広い範囲で都市の未来を考えているということに衝撃を受けました。
民間主導で、長い時間をかけて地元の方がたとの協議を重ねて、あれだけの街をつくっていくというプロセスも、すごいことです。
と同時に、あの大きなエリアがまったく新しい街に変わってしまうということを、今後どう考えていくべきかという気づきが象徴的に示されたプロジェクトだとも思っています。
それだけの規模で都市を改変してしまう資本と技術が生まれた時代だということです。
確かに東京という都市は、日々変わっていくダイナミズムがその魅力であり、そこに生まれる活気が今世界中から人を惹きつけているひとつの要因だと思います。
ただ建築に関わる者としては、何を変えて何を継承するのか、ということをより解像度高く考える契機にもなりました。

建築家の社会的信用

馬野  2005年に起こった構造計算書偽装問題は、われわれにとってたいへん大きな事件でした。
この事件を通じて感じたのは、エンドユーザーが、建築というものを、自動車等の工業製品と同じように寸分の狂いもなくでき上がっている製品だと考えていることでした。
しかし、実際の建築は、さまざまな人や物が関わる状況でそこまでの精度ではつくられていません。
つまり、社会が求める精度と実際の精度に大きなギャップがあるのです。
このギャップは、おそらくいまだに埋まっていないでしょうし、埋めるのがよいかどうかも正直難しい判断だと思います。
しかし、社会が求める建築確認の精度に応えられていなかったわれわれ指定確認検査機関の力不足な部分があったことは事実です。
これまで特定行政庁がやってきたことを、衣を変えて民間機関がやってきましたが、建築確認の中身自体がそれを機に大幅に変わったかというと、現実問題としてはそれほど変わってはいなかったということに尽きるのでしょう。
この事件をひとつのきっかけとして捉え、われわれも変わっていこうという意識が加速しました。

千葉  僕たちの世代は、建築家の社会的な信用についてとても意識していた世代だと思うのですが、この事件によって、僕たちが頑張って得ようとしていた信頼や社会性といったものがすべて振り出しに戻されたように感じて、すごく残念だと思いました。
また、この事件がきっかけになって2007年の建築基準法の改正もあり、業務は過大になりました。

馬野  基準法改正で確認審査が厳格化されたことにより、例えば、一度提出された図面に間違いがあった場合修正してはいけない、修正するにはいったん申請を取り下げて、また取り直さなければいけない、という運用になっていました。
しかし、これでは時間がいくらあっても足りず、みんな困ってしまいますので、実際には、正式申請の前に事前申請というかたちでチェックを受け、問題箇所があれば修正を行い、でき上がったものを正式に申請するという進め方で対応しています。
やはり、われわれ検査機関は申請者である設計者の方と二人三脚でやっていかなくてはいけなくて、マルかバツか、ということだけでは、社会の役に立つことはできないと思うのです。(「新建築」10月号掲載記事へ続く)

(2019年7月9日、日本ERI本社にて 文責:「新建築」編集部)

これまでの20年の建築に関する主な出来事

1995年 阪神・淡路大震災
1997年 京都議定書採択(発効は2005年)
1998年 建築基準法改正・施行(民間確認検査機関、中間検査等)
1999年 日本ERI設立
2000年 日本ERIが民間初の指定確認検査機関に
せんだいメディアテーク(伊東豊雄)
馬頭町広重美術館(隈研吾)
2001年 9.11同時多発テロ発生
札幌ドーム(原広司)
メゾン エルメス(レンゾ・ピアノ 他)
2002年 横浜港大さん橋国際客船ターミナル(foa)
電通本社ビル(ジャン・ヌーヴェル 他)
2003年 プラダ ブティック青山店(ヘルツォーグ&ド・ムーロン 他)
六本木ヒルズ(森ビル 他)
2004年 新潟県中越地震
金沢21世紀美術館(SANAA)
地中美術館(安藤忠雄)
2005年 構造計算書偽装問題
日本国際博覧会(愛・地球博)開催
青森県立美術館(青木淳)
2007年 建築基準法改正・施行(確認審査の厳格化等)
ふじようちえん(手塚貴晴)
新丸の内ビルディング(三菱地所設計)
東京ミッドタウン(SOM、日建設計 他)
2008年 リーマンショック
神奈川工科大学KAIT工房(石上純也)
犬島アートプロジェクト「精錬所」(三分一博志)
2010年 豊島美術館(西沢立衛)
2011年 東日本大震災発生
ソニーシティ大崎(日建設計)
2012年 東京スカイツリー(日建設計)
東京駅丸の内駅舎保存・復原(東日本旅客鉄道設計 他)
大多喜町役場(千葉学)
2013年 東京五輪開催決定
2014年 検査済証のない建築物に係るガイドライン策定
大分県立美術館(坂茂)
あべのハルカス(竹中工務店)
2016年 熊本地震発生
すみだ北斎美術館(妹島和世)
太田市美術館・図書館(平田晃久)
2017年 省エネ基準の義務化
GINZA SIX(谷口吉生 他)
渋谷ストリーム(小嶋一浩+赤松佳珠子/ CAt 他)
2018年 東京ミッドタウン日比谷(ホプキンス・アーキテクツ 他)
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